エロゲオタクに嫌われたのではなく、怒りを買っているように見えた

「ラブラブドキュンパックリコ」の「「なぜエロゲーオタクは嫌われるか」はなぜエロゲーオタクに嫌われたか」というエントリで「なぜエロゲーオタクは嫌われるか」というコラムの存在を知り、見に行ってみた。ついでにゲストブックも覗いてみる。あー…、あーあーあ。



以下はコラムではなくエントリに対しての感想です。

  1. 全然詳しくないですが仮説ということで。「性癖の変化」とはそれまでなかった性癖が生じることなのか、それとも無意識下に封じ込めていた性癖を否応なく自覚することなのか、そもそも両者は区別できるものなのか、そのへんは措きます。

    他者から見て「エロゲーごとき」で性癖が変化することはあるでしょう。子供向けヒーロー番組でヒーローが倒されるシーンに快感を覚える自分に気づいたり、リアルな時代劇で人の斬られるさまに目覚めたり、武部幹事長を見て突如自分がデブ専ハゲ専オヤジ専であることを悟ったり(実例を知ってるわけではありません)。人の性癖はその程度のこと(と他者が思うこと)をきっかけに変わることがある、と思います。
  2. エロゲオタクの経済的余裕は、いちがいに働いて得た収入によるとは言えないかもしれません。それこそ親のすねかじってる人もいるでしょう。コミュニケーションスキルの有無も含めて、私には因果関係はよくわからない、ということでお茶を濁します。
  3. 女性に相手にされなかったからエロゲに走っていた人に突然彼女が出来ると、今まではまっていたことが嘘のようにエロゲを捨て始めるということはあるでしょう。この場合のエロゲは他のエロ物件(エロ本とかAVとか)にも置換可能です。

    ただし、それは「女性に相手にされなかったから」エロゲに走っていた人の場合で、別の理由でエロゲに走っていた人は突然彼女ができても、簡単にはエロゲを捨てられません。厳重に隠蔽はするかもしれないですが。「私を取るの、それともエロゲを取るの?答えて!」と問いつめられて「おまえに決まってるだろ」のひとことが言えず沈黙するエロゲ馬鹿は、少なからず存在するような気がしないでもありません。
  4. 犯罪者を主人公にしたエロゲーは倫理的に悪とは限りません。犯罪者を主人公にした物語は、古今東西媒体を問わず山ほどあり、それらすべてを倫理的に悪とするのは違うように思います。描かれ方の問題でしょう。

    主人公の犯罪をやむを得ない理由によらずに免責したエロゲー(付け加えればエロゲーに限らず物語全般)は、倫理的に悪かもしれません。個人的にはあまり好きではありません。

    ただし、倫理的に悪な物語を封じ込めることには賛成しません。そういう物語からそういう現実の存在を類推することは悪いこととは限らないからです。個人的には、罪と罰のバランスが著しく公平を欠いた現実を放置したままフィクションだけをむやみに規制するのは、ただの言論封殺じゃないか、と思います。
  5. エロゲーが現実世界へ及ぼすプラス面をアピールしようなんていうエロゲオタクはほとんどいないのはあたり前です。なにしろエロ・ゲーム・オタクの三重苦を背負ってるのですから。エロやゲームやおたくが「世間一般」でどのように見られているかも、プラス面をうかつにアピールするとすさまじく逆効果なのも十二分に自覚しています。
  6. 三重苦でなくただの一重苦でも、状況はそんなに変わりません。SM愛好者や格ゲー好きやアニオタとて同様です。もっと言うなら、たとえば「現実世界へ及ぼすプラス面をアピールする切手収集家」はかなりうさんくさく見えます。切手収集家が書痴や鉄ちゃんや将棋指しや、ゴルファーやボーダーとかでも同じです。趣味は多かれ少なかれそういう側面を持つように思います。

    ただし。「エロゲーが現実世界へ及ぼすプラス面」ではなく「エロゲーが自分へ及ぼすプラス面」なら、アピールする人はネット中にあふれています。などと他人面している場合ではなく、個人的な話としても、一生ものの物語体験のなかでエロゲとして提供されたものは複数存在します。こないだも一つ増えたばかりです。
  7. おおもとの「コラム: なぜエロゲーオタクは嫌われるか」については多くを書きません。自分の感情と倫理観を元に凡庸な道徳論を振り回して炎上しているだけに見えます。

    それだけのものに対してなぜ複数の人があそこまで熱心に(あるいは執拗に)反論しているかというと、おそらくは、たとえばゲームをするとゲーム脳になるという恐るべき学説でさえ、ほっとくとあっという間に世間に流布することを身にしみて知っているからです。あろうことかどんなに反論しても(そしてその反論が妥当なものであろうとも)いっこうに認知されない、ということさえあります。馬鹿が唱えた馬鹿理論によりあらぬそしりを受けるというのは、なかなかにこらえがたい経験ではあります。